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Author:びん
・東京都内に住む、ごく普通のとうの立った地味目のOLです。
・祖母の影響で子供の頃からきもの好きで、つましい収入からきもの生活に四苦八苦してます。

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成人式の思い出

若い娘の一大イベントといえば成人式。
ただ二十歳の頃の自分は、バイトに明け暮れて、着物に頭が回りませんでした。
勿論、成人式が近づいても全く興味がなかったので、

「晴れ着をレンタルするならそのお金を頂戴」

なんて事を言って、祖母に酷く叱られました。
直前になってから、急にレンタル衣装屋さんに連れて行かれました。
しかし、流石にあまりにも直前すぎて、着物がほとんどなくなってしまい、選べないような状態になっていました。しかし、そんな店にも残っている振袖がありました。


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2008-04-24(Thu) 20:57| きもの思い出話| トラックバック 0| コメント 0

着物思い出話その3:伯母の着物

私の着物の中で、一番良く袖を通しているのが、若くして亡くなった父のすぐ上の姉、伯母の着物です。

伯母はとてもおしゃれな人で、控えめな性格で大人しい人でしたが、どういうわけか着るものだけが派手でした。ガンで夭折した後、たくさんの未仕立ての反物と着物が残されていましたが、伯母の姉妹は着物類には興味が無く、そのままになっていたのを私がほとんど貰い受けました。
その中で、真っ白い中振り袖で、胡蝶蘭が描かれた派手な訪問着というか振り袖というか、不思議な絵羽模様の着物がありました。茎や葉は紺色で描かれ、花びらの輪郭は銀のラメ。すそ回しは葉の色に合わせて紺色で、非常にクールでモダンな着物でした。
経年のシミで、すっかり黄ばんでしまっていたその振り袖を洗い張りに出そうとしたところ、染め屋さんに「胡蝶蘭の輪郭を描いているラメのような塗料が、洗うと落ちてしまう」と言われ、どうしたものかと非常に悩みました。が、結局そのままでは着られないので、生地が上物だったのを幸いに、色ぬきをしてもらい、白生地に戻して染め屋さんで自分の好きな柄にしてもらいました。

それが更紗の切羽目模様の小紋です。すそ回しは以前のまま紺色のすそ回しを使いました。
原型をとどめないほどに直した着物を見て、父は不思議な顔をしていました。それでも、着物を着た私を見て「やっぱり姉さんに似てるなあ」といい、洋服とは違う、着るものに対しての人間の思いの重さが着物にはあるのだなあと思いました。


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2008-03-22(Sat) 04:09| きもの思い出話| トラックバック 0| コメント 0

着物思い出話その2:祖母達の着物

びんにとって祖母と呼べる人は3人いて、母の生母、母の養母、父方の祖母の3人です。この3人の年令の開きが非常に激しいので(笑)祖母の着物と言いながらも、40年近く開きが有り、残された着物も様々な時代を感じる事が出来て面白いです。

最も古いのが、明治生まれの父方の祖母が結婚直前に祖父に作ってもらったと言う、大島です。関東大震災の直前と聞いているので、相当に古い物かと思います。
最初はアンサンブルだったのですが、裏がモスリンだったため、虫食いだらけになっていたので、洗い張りと裏打ち、かけはぎをして痛んだ生地を取り除いて仕立て直した所、長着一枚しか作れませんでした。
直すのに相当かかったと言った母でしたが、その金額は教えてくれませんでした。
>最近知りましたが、7万かかったそうです。

意外だったのが、父がとても喜んだ事です。
自分が子供の頃に母親が着ていた着物というのは、格別の想いがあるようです。

その次に古いのは、第二次大戦のすぐ前の頃に作られた、母の生母の長襦袢やなごや、お召しの着物でした。
京都の名家から嫁いで来たと言う筋金入りのお嬢様だった母の生母は、それはきらびやかな小紋やお召しを毎日の普段着にしていたそうです。
父方の祖母とは対照的に、や絣の類は一切持っていなかったとか。
なぜなら、家事は全部お手伝いさんがやるので、働くための着物をもっていなかったそうなのです。
今も残る着物を観ても、お嬢様っぽいかわいらしい色柄の物が多く、びんの母の趣味はここからきているのかなあとも思います。

労働自体をまったくした事が無かった母の生母は、戦後の混乱期の生活苦でわずか30代頭で夭逝。
その十年後に後添えとして母の養母がやって来ました。

母の養母は典型的な都会至高タイプ。
色柄も洋風好みで、服も着物もかなりサイケデリックなものを好んだりと、派手好きな人でした。
母の嫁入り仕度はほとんどなんの相談も無しに養母が一人で決めて用意した物なので、凄まじい趣味になっています。
大人しめの可愛い系が好きな母に合わせて、色合いは多少地味になっているようですが‥‥。
豹柄の地紋にろうけつ染めで巨大なチューリップが描かれている小紋や、クリーム色にの地に総ラメで桔梗が描かれた小紋、ピンクの道行、オレンジ色のウールの着物など、和洋折衷に合成染料の蛍光色ばりばりの色合いで今観ても腰が抜けそうです。

この中ではチューリップの小紋のハッ掛けの色を替えて仕立て直したものと、ピンクの道行きを羽織りにし、先日染め直したものを着ています。
オレンジ色のウールの着物は、子供の頃に私のウールのアンサンブルに姿を変えて活躍しました。

母の養母は、着物をあつらえると言う行為自体が好きだったらしく、時々何の前触れも無しに着物を送って来る事が有りました。それは父の着物だったり、私の綿入れ半纏だったり、母の羽織だったりしたのですが、ほとんど袖を通す事無くそのままになっています。

祖母達の残してくれたものは、仕立て上がった着物の他に、白生地の反物がいくつか有ります。

今では考えられないと思いますが、昭和40年頭までは、御中元や御歳暮、御祝儀や不祝儀の御返しやお年玉等に白生地をお使いものにしていたのです。デパートでも白い反物を山積みにしていたとか。
着物が日常着るものだったか伺い知る事が出来ますね。

頂き物の白い上等の縮緬や錦は、時期が来れば染め屋さんに出して好きな色や柄にしてもらう、自由度の高い贈り物だったのでしょう。
今では染め屋さんどころか、悉皆屋さん自体が見つからずに困っているような有り様ですが。

そんなわけで、普通の人よりちょっとだけ着物に関して恵まれているびんですが、実際に恵まれていると実感できるようになったのはここ10年くらいの事でした。


2007-10-31(Wed) 02:54| きもの思い出話| トラックバック 0| コメント 0

着物思い出話その1:母の着物

時々、人様に着物を沢山持っているから、何所ぞのお嬢様かと聞かれる事がありますが、別にそんなんじゃありません(笑)。
というわけで、これから「着物思い出話」というテーマで、着物に関する思い出話を中心に書きたいと思います。


びんは、自分のために新しく買った着物というのはほんの数枚しかありません。
大半が、母の嫁入りの時に持って来た着物と、3人の祖母の着物、夭折した叔母の着物のお古で、洗い張り染め直しなどで手を入れながら着廻している物ばかりです。
母の着物は、母が私よりもずっと小柄なので、直して着るのに限界が有り、あまり着廻してはいません。

一番着廻しているのは、実は祖母たちの残した大正末期〜昭和初期の着物が中心です。

母は「カラスの集団」と言われた「小紋に黒の絵羽織」が流行った時代の少し後‥‥昭和の着物ブームがやや下火になって来た頃に嫁いで来た人です。

彼女の出身地では、必ず桐箪笥が嫁入り道具として持たされ、しかも中にみっしりと着物を入れて嫁がせる習慣が有りました。
貧しいながらも着物をみっしり持たされた母でしたが、当時は「洋裁ブーム」でもあり、流行りの服は自分で作ろう!という風潮だったため、若い母は着物には全く興味が無かったのです。
しかも、貧乏だった為に着物は「質より量」で、なおかつ母の養母の趣味丸出しの着物はとても派手でした。
数回着た事もあった様ですが、嫁ぎ先の姑の「野暮ったい嫁が来たと思われるからやめなさい」の一言で封印されてしまいました。

今では「あんまりだ」と思われるかも知れませんが、父方の祖母の価値観がよく理解できるびんとしては、やむなしとも思えます。
彼女は「粋か野暮か」という価値基準がすべてだったからです。
綺麗とか、可愛いとかではなく「粋か野暮か」という価値基準は、田舎娘丸出しの当時の若い母には判断は難しかった事でしょう。

どちらかと言うと父方の祖母の趣味に近い自分も、今見れば確かにちょっとどうかとおもう(笑)珍妙な柄行きの母の小紋は、丈を直してもあまり袖を通したく無いと感じました。
「洋服のセンスで選ばれた着物」といえば解るでしょうか?

今流行りの洋服感覚のプレタ着物は、父方の祖母が今も生きていたら、さぞかし眉を潜めたのでは無いかと想像すると、少し可笑しくなってきます。








2007-10-27(Sat) 23:00| きもの思い出話| トラックバック 0| コメント 0

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