びんにとって祖母と呼べる人は3人いて、母の生母、母の養母、父方の祖母の3人です。この3人の年令の開きが非常に激しいので(笑)祖母の
着物と言いながらも、40年近く開きが有り、残された
着物も様々な時代を感じる事が出来て面白いです。
最も古いのが、明治生まれの父方の祖母が結婚直前に祖父に作ってもらったと言う、大島
紬です。関東大震災の直前と聞いているので、相当に古い物かと思います。
最初はアンサンブルだったのですが、裏がモスリンだったため、虫食いだらけになっていたので、洗い張りと裏打ち、かけはぎをして痛んだ生地を取り除いて仕立て直した所、長着一枚しか作れませんでした。
直すのに相当かかったと言った母でしたが、その金額は教えてくれませんでした。
>最近知りましたが、7万かかったそうです。
意外だったのが、父がとても喜んだ事です。
自分が子供の頃に母親が着ていた
着物というのは、格別の想いがあるようです。
その次に古いのは、第二次大戦のすぐ前の頃に作られた、母の生母の
長襦袢やなごや
帯、お召しの
着物でした。
京都の名家から嫁いで来たと言う筋金入りのお嬢様だった母の生母は、それはきらびやかな
小紋やお召しを毎日の普段着にしていたそうです。
父方の祖母とは対照的に、
紬や絣の類は一切持っていなかったとか。
なぜなら、家事は全部お手伝いさんがやるので、働くための
着物をもっていなかったそうなのです。
今も残る
着物や
帯を観ても、お嬢様っぽいかわいらしい色柄の物が多く、びんの母の趣味はここからきているのかなあとも思います。
労働自体をまったくした事が無かった母の生母は、戦後の混乱期の生活苦でわずか30代頭で夭逝。
その十年後に後添えとして母の養母がやって来ました。
母の養母は典型的な都会至高タイプ。
色柄も洋風好みで、服も
着物もかなりサイケデリックなものを好んだりと、派手好きな人でした。
母の嫁入り仕度はほとんどなんの相談も無しに養母が一人で決めて用意した物なので、凄まじい趣味になっています。
大人しめの可愛い系が好きな母に合わせて、色合いは多少地味になっているようですが‥‥。
豹柄の地紋にろうけつ染めで巨大なチューリップが描かれている
小紋や、クリーム色にの地に総ラメで桔梗が描かれた
小紋、ピンクの道行、オレンジ色のウールの
着物など、和洋折衷に合成染料の蛍光色ばりばりの色合いで今観ても腰が抜けそうです。
この中ではチューリップの
小紋のハッ掛けの色を替えて仕立て直したものと、ピンクの道行きを
羽織りにし、先日染め直したものを着ています。
オレンジ色のウールの
着物は、子供の頃に私のウールのアンサンブルに姿を変えて活躍しました。
母の養母は、
着物をあつらえると言う行為自体が好きだったらしく、時々何の前触れも無しに
着物を送って来る事が有りました。それは父の
着物だったり、私の綿入れ半纏だったり、母の
羽織だったりしたのですが、ほとんど袖を通す事無くそのままになっています。
祖母達の残してくれたものは、仕立て上がった
着物の他に、白生地の反物がいくつか有ります。
今では考えられないと思いますが、昭和40年頭までは、御中元や御歳暮、御祝儀や不祝儀の御返しやお年玉等に白生地をお使いものにしていたのです。デパートでも白い反物を山積みにしていたとか。
着物が日常着るものだったか伺い知る事が出来ますね。
頂き物の白い上等の縮緬や錦は、時期が来れば
染め屋さんに出して好きな色や柄にしてもらう、自由度の高い贈り物だったのでしょう。
今では
染め屋さんどころか、
悉皆屋さん自体が見つからずに困っているような有り様ですが。
そんなわけで、普通の人よりちょっとだけ
着物に関して恵まれているびんですが、実際に恵まれていると実感できるようになったのはここ10年くらいの事でした。